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私のストーリー

私はインタビューライターとして、これまでたくさんの方の人生のストーリーを取材・執筆してきました。
でも、自分のことはいつも後回し、まとまった文章にはしていませんでした。自分のホームページを持たないWEBデザイナー、自画像を描かない肖像画家、といったところでしょうか。

ホームページリニューアルを機に、今一度自分の人生に向き合い、どうして今の理念を持ってライターという仕事をするようになったのかのストーリーを紡いでみようと思います。

“いい子ちゃん”の子ども時代

私は大阪のビジネス街に、三人兄弟の末っ子として生まれ育ちました。

父は、祖父が立ち上げた紳士服の卸売の会社を引き継ぎ、いつも仕事をしている印象の人でした。

兄弟は、12歳上の兄と、6歳上の姉。姉は、生まれながらに重度の知的障がいがあり、そのことは、少なからず私の人格形成に影響しています。

母の口癖は「障がいの子を抱えて…」
姉の影響を受けない世界で育ってほしいという母の希望から、私は小学校から高校まで、電車で通う私立の女子校に通うことになりました。

親の手を煩わせてはいけない。
ひっそり、お利口さんにしていなければいけない。

誰にそうしなさいと言われたわけではないのに、幼い私は、そのように生きるのが最善だと思っていたような記憶があります。これは障がい児を兄弟に持つ「きょうだい児」に多く見られる思考回路なのだと、大人になってから知りました。

私は、“お勉強”はよくできて、人前に出るのが好きなわけでもないのに学級委員も引き受ける、いわゆる“いい子ちゃん”として小学校生活を送りました。

中学校に上がる際、ちょうど私たちの年から中高一貫の国公立大受験コースができるというので、勧められるがままに試験を受け、合格。ただでさえ寄り道禁止、男女交際禁止という厳しい学校のうえに、そのコースは部活をすることも実質禁じられ、勉強のみの中高時代でした。

―なんて書くと、重苦しい中高時代のようですが、女子校特有の「全く周りに気を遣わない、女子だけの空間」をそれなりに楽しんで、毎日を過ごしていたように思います。

書く仕事、の源

私は幼い頃から文章を書くことは全く苦ではなく、本を読むことも好きでした。ただ、小説や詩のような、自分から溢れ出るものを紡ぐわけではなく、求められるものをうまくまとめるのが得意だったように思います。

小中学生のころは、作文や読書感想文で何度か賞をもらっていました。印象深いのは小学校2年生のとき。家族旅行のことを夏休みの絵日記のひとつとして書いたところ、ベテランの担任の先生に、この絵日記を元にした作文をコンクールに出したいから、一緒に改善しましょう、と声を掛けられたことがありました。

土曜の午後に居残りをして、先生は「どうしてそう思ったの?」「もう少し詳しく表現するとどうなる?」などと、私から言葉を引き出し、メモ書きしていきました。最後にそれらを組み立てて清書すると、自分が最初に書いていた作文とはまるで違う、生き生きとした文章になって、驚いたのを覚えています。コンクールに出すと、その作文はみごと特選に選ばれました。

当時は、先生が教えてくれたから賞をもらったのだ、と素直に喜べないでいましたが、今思うと、先生は決して自分の言葉を入れ込んだわけではなく、私の言葉を引き出してくれたのですよね。これって、今私がお客さまに対してしていることと同じです。

私がやりたいライターの仕事は、インタビュー相手の「内なる言葉」を引き出し、文章として紡ぐこと。きっとあのとき、先生がやってくれたことなのです。そう思うと、小学2年生のときの先生の指導が、私のライターとしての原体験なのかもしれません。

人に興味があるんだ、と気づく

「女の子なんだから、家から通える大学にしなさい」という母の言葉。

そして、国公立受験クラスなのだから国立に行くべき、という自分の中での思い込み。

その制限の中、私は社会学を学べる大学を選びました。高校時代に新聞記者に憧れていたので、何となくマスコミに関係のありそうな学部に、という理由からでした。

しかし、3年になり、ゼミを選ぶ段階になって気づいたのは、自分の興味があったのは大きな社会問題ではなく、社会の中の「人」「人間関係」だということ。コミュニケーションって一体何なのか、人は他者に対してどう思うのか、人と人はどのような関係を及ぼしあうのか…そんなことを深掘りしたくて、社会を哲学的に考える先生のゼミで学びました。

選んだ卒論のテーマは「コミュニケーションと他者理解」。原稿用紙100枚の卒論を書くために、書庫のかび臭い哲学書をたくさん読みました。

「大学時代は人生の夏休みなのだから、無駄なことを一生懸命考えなさい」というゼミの先生の言葉に従って、「人間とは」「他者とは」「社会とは」―そんな大きなことを考え、論じていた大学時代でした。

インタビューの面白さに気づく

就職活動は、大学の専攻とは関係なく、身近だった食と教育の業界に絞って「フツーに」行うことに。私たちの頃は超氷河期と呼ばれる時代…40社ほどエントリーシートを出したでしょうか。ご縁のあった、菓子メーカーに就職することになりました。

近畿支店で地域の販売促進の仕事をしたのち、3年目に東京本社のマーケティンググループに転勤。そこでは商品開発のための市場調査を行う部署でした。調査の中でも、インタビューから人が感じることを商品開発の参考にする、定性調査を担当することに。

発言を分解し、結論に向かって組み立てなおしていく点、インタビューを通して人の深いところが見えてくる点など、とても興味深いものでした。リサーチの仕事は好きだし自分に向いている、とやりがいを感じながら働いていました。

しかし、29歳で結婚とともに東京から栃木県へ転居することを決めたため、退職。そこに迷いはありませんでしたが、知り合いもいない栃木での新生活は、かなりつらいスタートでした。

できることを、やる

一日で話すのは夫だけ。
車がないとどこへも行けない。

まだスマホでもなく、SNSも今ほど盛んでないこの頃、縁もゆかりもない栃木の地に、ぽつーんと、ひとりでいるような気がしていました。新婚の夫には理解してもらえないこのつらさ。

あれ?私仕事も辞めて、これでよかったんだっけ?このまま年をとっていくのは嫌だ!そう思った私は「女性の資格」のような本を買ってきて、何か地方でも自分にできそうな仕事がないか探してみました。

自分に向いていると思った市場調査の仕事は地方にはなく…人から話を聞き、まとめて方向性を示すような仕事、と探して見つけたのがインテリアコーディネーターの仕事でした。通信講座で学び、資格の勉強をしながら、カーテンメーカーで、インテリアボード作成のパートを始めました。しかし妊娠を告げた瞬間に、実質クビ。

出産を挟んで資格取得したものの、待機児童の多さが騒がれていた時期。子どもを預けることも難しく、家でママ友相手にワンコインでインテリアセミナーを開くのが精いっぱいでした。

それでも、一歩動くと、何かが見えてくるものです。インテリアセミナーを開催してみて分かったのは、ママたちは、整理収納に困っている、ということ。すてきなインテリアの前にまず片付け!いくつか準備したセミナーの中でも、収納はいちばん人気のテーマでした。

ちょうど自宅を建てようかという時期と重なり、もっと深く収納について知りたいと、「整理収納アドバイザー」の資格を取得。

子どもを連れてママ友の家を片付けに行ったり、子育てサークルに呼んでもらって講座をしたり。わが家を建てた工務店さんに営業をかけると、新築時に収納計画をさせてもらうという業務委託をいただくことになりました。インテリアコーディネーターの資格のために習得した製図の知識も役に立ちました。 2015年に「片付け相談所かげいろ」開業。私は特に独立志向があったわけではなく、勤めるのが難しいから結果的に起業した、という流れでした。

好きなこととできることがつながって

下の子が幼稚園に入り、ひとりの時間ができたタイミングで、仕事のアクセルを踏むことにしました。

とは言え、開業したての整理収納アドバイザーに次々と仕事がくるはずもありません。地元の広告代理店の社長のブログに「未経験OK!ライター募集」の文字を見つけ、応募してみることにしました。書くことは嫌いじゃない、という理由からでした。

そこから、整理収納アドバイザーとして、主に個人宅に訪問しての整理収納と、ライターとして栃木県内で取材執筆をするという二足のわらじを履く期間が7年ほど続きます。

ライター仕事では住宅取材が多かったので、整理収納やインテリアの勉強にもなったし、整理収納の仕事も、ほとんどは私が書いたブログを読んでくださってのお申込みでした。たまたまでしたが、相互にいい関係を与え合う2つの職業だったのです。

二つの仕事をしていて感じたのは、私はやっぱり「人」に興味があるということ。大学生の頃から、興味の中心は変わっていませんでした。

整理収納では「時短」や「映え」にはあまり興味がなく、整理収納をすることで、家族間の関係がいかによくなるか、がいちばん大きな関心事でした。

ライター仕事でも、住宅取材をしていても、どんな壁紙か、どんな床板か、への興味よりも、その家に暮らすこのご夫妻は、どうしてこの家を建てるに至ったのだろう?どこに惹かれあって結婚したのだろう?というところが知りたくて仕方なくなったのです。

つまり、私は両方の仕事から「人生のストーリーを紡ぐ」ことがしたいのだと分かってきました。

そこから、「人」を書くライター仕事がしたいと、プロフィール文のライティングというサービスを提供しはじめました。

世界が広がるとき

整理収納アドバイザーの仕事を卒業し、ライターとしての活動に専念しようと決めたのは2021年末のことでした。コロナ禍、整理収納アドバイザーとしてお客さま宅に伺うことが難しくなった一方で、ライターとしては、オンライン取材が普及し、仕事の幅がうんと広がったことがきっかけでした。

日本には、こんなに面白い人たちがいるんだ。
地方で暮らしながら、その人たちの話を聞いて文章にするという働き方があるんだ。

時代環境と相まって、ライターとしての仕事に今まで以上に面白さを感じた私は、もっと深く、広く、ライターとして活動してみたくなったのです。

そしてライターとしての世界が広がることで、自分の興味と役割がかちっとハマる感覚がありました。

私がいちばん喜びを感じるのは、インタビューをした方の生き方や言葉に私自身が心振るわされ、その方のストーリーを、自分の言葉で紡ぐことができるとき。そして私が書いた紹介文で、その方の魅力が周りの人たちに伝わった瞬間。

書く仕事は本当にいろんな種類がありますが、私が好きなのは、この循環なのです。

これまで歩んできた道を大切に

そしてプライベートでも、ひとつの出会いから、Webの世界を通じて広がったつながりで、大きな変化がありました。

私と同じ立場の人たちと語りあうことで、幼いころから自分の心の中で蓋をしていた「きょうだいとしての本当の気持ち」を認めることができるようになったのです。自分をねぎらい、「ねばならない」を手放し、自分が置かれた立場を受け入れ、今抱える問題一つひとつに向き合うことができるようになりました。

やっと、自分は幸せになっていいんだ、と許せたような気がします。

今回改めて自分の人生を振り返り、私、案外頑張ってきたじゃん、と自分を褒めてあげたい気持ちになりました。制約の多かった子ども時代から、置かれた場所でそれなりにもがいて、自分にとって居心地のよい状態に変えてこられたように思います。

私はもともと、自分で何かを成し遂げたいという強い情熱があるわけではありません。そんな私にとって、パッションのある方の話を聞き、それを昔から苦なくできた文章化することでお力になれるのなら…こんなに嬉しいことはないのです。

ある人が、ある考えを持つにいたるのには、それまで歩んできた道があるからだ。

この当然とも言える事実を大切に、私はこれからも「人」のことを書いていきます。ストーリーを周りの人にシェアすることで、奥行きのあるお付き合いをしていけると考えているからです。

お客さまと深いお付き合いをしていきたいな。そう思われたときに、かげいろのことを思いだしていただけると嬉しいです。

2024.1
ココロツムグ研究所かげいろ
石原智子

Special thanks to Haru Mizuki
今回自分のストーリーを書くにあたり、私と同様にストーリーの価値を信じるライター仲間であるハルさんに、インタビュー役をお願いしました。
インタビューを受けて改めて気づいたことも含め、自分のことを書き上げることは、非常によい経験になりました。
ハルさん、ありがとうございました。