
「見えざる手」がほんの少し、見えた気がするんだ
私には、「こんなふうに年齢を重ねられたらなぁ」と憧れる女性がいます。
包容力とチャーミングさを併せ持った方なのです。
1年と少し前、「2周目の人生、どう送ろうかと自分を見つめている」と話していた彼女は、大阪大学フォーサイトで働くことになり、「新しい扉が開いた」「尊敬できて、応援したいと思える方の元で働けて幸せ」と語っていました。
その彼女が司会を務める対談イベントが東京であるというので、参加してきました。

画像、大阪大学フォーサイト(株)HPよりお借りしました
行動観察!
このイベント告知を見て、私はまず「人間理解からはじまる」の部分にぐぐっときたんですね。私はとても「他者」に興味があって、その延長線上でインタビューライターの仕事をしているから。
そして、このインベントを主催する会社、つまりは、私の憧れる女性の「尊敬する人」が立ち上げた会社の事業についてじっくり見て驚きました。
行動観察によって得た「場の情報」と大阪大学の6,000人を超える教員・研究員の「学術的な知」を統合することにより、新規性と妥当性のある仮説(インサイト)を立て、社会課題を解決する「新しい価値」の創造を実践する
行動観察!
私が独身の頃勤めていた会社のマーケティングリサーチの部門で、行動観察という調査手法に興味を持ち、それを会社に取り入れたい!と動きはじめたものの、結婚して移り住む選択をしたため、泣く泣く志半ばで諦めた、あの行動観察!
それを体系立ててメソッドとして提供し、クライアント企業と共創して新規事業を立ち上げたり、アカデミーを開講しているというのです。
興味が湧いてきた私は、教えてもらった、今回のイベントの予習にぴったりの本「アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論」の世界」(堂目卓夫著)と、「ザ・ファースト・ペンギンス 新しい価値を生む方法論」(松波晴人著)を読み込み、イベントに臨みました。

いろんなことをつなげる言葉
イベントは、大阪大学フォーサイトの若手社員 渡部さんが考えた新価値創造のアイデアを元に、アダム・スミス研究の第一人者の堂目先生の基調講演と、ビジネスの現場にこの新価値創造メソッドを取り入れようとされている株式会社島津製作所の赤澤さんを交えて語りあうという構成でした。
堂目先生のご著書を2回も読んでいったものですから、基調講演はその内容をさらに深めてもらえるもので、そこで感じたこと、学んだことを書こうとするとブログ1本では到底収まらないので、それはまたの機会にするとして。
昨日、いちばん印象に残ったのは、懇親会の最後に締めの言葉として堂目先生がおっしゃったこの言葉。
ここにみなさんが集まったのも、“見えざる手”による、ということで
このひと言で、私はいろんな出来事が繋がった気がしたのです。
「見えざる手」は、みなさんご存じ、アダム・スミスの『国富論』の中で使われた言葉です。高校生の娘も私が『アダム・スミス』を読んでいると「見えざる手」とつぶやきますし、友だちに「今度アダム・スミスの古典を下敷きにしたイベントに参加するんだ」と言うと「見えざる手」と言われました。
こんなに有名でキャッチーな言葉もなかなかないですよね。ChatGPTに聞いてみると、端的に答えてくれます。
「見えざる手」(みえざるて)は、経済学の分野でよく使われる概念で、18世紀の経済学者アダム・スミス(Adam Smith)が『国富論』の中で提唱したものです。この表現は、個々の人々が自分の利益を追求する行動が、結果的に社会全体の利益につながるという市場経済の仕組みを説明するために使われます。
具体的には、個々の生産者や消費者が自分の利益を最大化しようと行動することで、価格や供給が自然に調整され、効率的な資源配分が実現されるという考え方です。この「見えざる手」は、政府や中央の計画によらず、市場の自発的なメカニズムによって社会全体の利益が達成されることを象徴しています。
例えば、パン屋が利益を上げるためにパンを焼き、そのパンを消費者が購入することで、パン屋の収入が増えると同時に、消費者は必要な食料を手に入れます。ここで、誰も全体の利益を直接意図しているわけではないのに、結果的に社会全体が利益を得るという現象が起きています。この調整を行うのが「見えざる手」とされています。
これを読むと、ふむふむ、なるほどね、と思いますよね。これだけで分かった気になるのは、アダム・スミスのほんの上澄みだけ見て、全部分かったような気になっていたのだなぁ、と今回知りました。
この経済学的な説明の下敷きとして、アダム・スミスは『道徳感情論』の中で、「人間って?」「生きるって?」を深く考察していたこと。その人間の本性をうまく引き出し、社会がいい感じで回るように設計するのが貨幣社会であるべきこと、でも「見えざる手」が働くのは、あくまで個人や国が「フェア・プレイ」で臨んだときだけであること・・・
こんな少しのまとめで分かった気になっていいほど、単純なものではないのですよね。(こんなこと書く私も、堂目先生から見たら「何偉そうなこと言ってんだ」だと思われるのは百も承知のうえで書いてみる)
私に見えた「見えざる手」の輪郭
話がそれてしまいました。
私が堂目先生の締めの言葉で「繋がった」と感じたのは、私のなかのこんな要素たちでした。
●私がいいなぁと思う女性が、私が過去知りたい!取り入れたい!と思っていた「行動観察」からスタートする新価値創造の事業に関わっていた←再び興味が湧いてきた
●私が「今年は“感じて書く”ライティングをしたい!」と書いていたブログをその女性が見つけて声をかけてくれた←私にとって、とてもよい“感じる”場になりそうだと感じた
●月1回参加している読書会で、せっかくだから「アダム・スミス」を発表することにしたから、アウトプットするために真剣に読んだ←より堂目先生の講演が身に染みた
●知人が「正座して読んだ。買い占めて配り歩いている」という本『好きなことしか本気になれない』のAudibleを行きの車で聞いていた。
「MBAは、知識を教えてもらおうとして行くと何の意味もなくて、その学びの場をきっかけにリアルなビジネスの場に実践してこそ意味があるし、そこで出会った仲間たちを今後のビジネスに巻き込んでこそ意味がある」という箇所が印象に残った←大阪大学フォーサイトのアカデミーで学ぶ人たちのスタンスはまさにそれだ!と懇親会で感じていた
●懇親会で名刺を差し出すと、何人もの人が屋号の「ココロツムグ研究所かげいろ」のうち「ツムグ」が気になって、質問していてくださった。これまで出会った人たちは「かげいろ」について聞いてくださることが多かったのに、昨日の場に集まった人たちは「ツムグ」だった。
1人2人じゃなくて、5人か6人ほどが「ツムグ?」と声に出された。←この場にいる人は「紡ぐ」ことに興味がある。人と人を紡ぐ、ビジネス界と学術界を紡ぐ、観察で得られた事実を紡ぐ・・・

これら全部、「見えざる手」だったんだ・・・
スミスは、社会秩序を「自然の特別で愛情に満ちた配慮」であると言う。この場合、「自然」とは、種としての人類の保存と繁栄を促す「自然の摂理」と解釈してよいであろう。スミスにとって、社会秩序は、このような「自然」によって意図されたものであり、人間は「自然」の「見えざる手」に導かれて行動するにすぎない。
ー堂目卓夫著 「アダム・スミス 「道徳感情論』と『国富論』の世界」P66
私個人は別に全体の利益を考えてここに来たわけでなく、自分の興味や関心のためにこの場に来たのだけれど、「見えざる手」に導かれて行動していたのか・・・と思うと、なんだかぞくぞくしたんですよね。
そして、この場に集まった一人ひとりが私のようにいろんな要素が繋がった上でここにいるんだ、と思うと、その複雑さと美しさにうっとりします。
昨日のあの場から、また何かが紡がれて、この先に繋がっていくのだと思うとワクワクしますね。私は、今は新規事業を立ち上げる人でも何でもないけれど、大阪大学フォーサイトが紡ぐこの「場」にとても興味を持ったのでした。
私自身、このイベントを通じて「学術的な知」に少しだけ触れ、時を超えて読み継がれる名著の深さを垣間見て、こういう知見を参照して生み出された新しい価値って、人間の本質を反映した厚みのあるものになるのだろうな、と感じました。
現在、大阪大学フォーサイト・アカデミー第3期、絶賛募集中だそうです。
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・文中に出てきた本