映画『ミッシング』(2024-9)
先週、時間ができたので、話題の『ミッシング』を映画館に観に行きました。
Story
とある街で起きた幼女の失踪事件。
あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里は、夫・豊との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々だった。
そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。
世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。
一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。
それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。その先にある、光に—
公式HPより
石原さとみさんの演技がいろいろなところで絶賛されているということ。
子を持つ母として、我が子の失踪というテーマが怖くもあり興味もあったこと。
吉田恵輔監督の作品は観たことがなかったけれど、“人間描写の鬼”という呼び名にやられて、これはぜひ観たいと思ったこと
そんな動機で観に行きました。
役者さんってすごい、と思う映画でしたね。
あのキラキラの石原さとみはどこへ行った?と思うほど、確かに、我が子がいなくなってしまった、静岡の港町の元ヤンの母親だった。
周りの役者さんたちも、一人ひとり、もうその役そのものなんですよね……。
この映画は、観ていてものすごく感情が忙しくて、それって、誰か一人に自分の感情を重ねられなかったからだと思います。
私の立場的には、石原さとみさん演じる沙織里にぐっと入り込むかと思ったけれども、そうとはならず。
沙緒里はもちろん、夫の豊にも、弟の圭吾にも、圭吾の職場の先輩にも、記者の砂田にも……
それぞれに対して共感と嫌悪感、両方を感じるのです。
あまりこれまで映画を観ていてこういう感覚になったことはありませんでした。
どうしようもない状況に追い込まれ、人間の醜い部分が出てきてしまったときに、それとどう折り合いをつけていくかー生きていくうえで重く、大きなテーマなのだと思います。
ずっとやりきれない状況は変わらないままストーリーは進んでいくので、見終わった後もしばらく気持ちがざわざわした感じが続き、ここ数日この映画とともに過ごしていた感じがします。
不思議な感覚なのですが、時間が経てば経つほど、登場人物一人ひとりの個性が際立ってくるというか、全員が愛おしくなってくるというか……それぞれが必死に生きている、という感覚が強くなってくるのですよね。
これが“人間描写の鬼”と言われる吉田監督のなせる技、なのでしょうか。
普段そんなに映画を観ないという友だちが『ミッシング』珍しく気になるんだよね~と言ってたときに、絶対観て!というのもちょっと怖いと感じるような、モヤモヤが残る映画でした。
でも、私みたいにモヤモヤを考えることが好きな人にはすごくいい映画だと思う。
(友人には結局、私がこのモヤモヤについて誰かと話したいから、観て!という身勝手な勧め方をした)
それにしても、夫 豊役の青木崇高さん、かっこよかったなぁ……
うっとりしてもうた。